常設展示の「戦後強制抑留コーナー」に展示している資料について紹介しています。

戦後強制抑留者とは


戦争が終結したにもかかわらず、シベリアを始めとする旧ソ連やモンゴルの酷寒の地において、乏しい食糧と劣悪な生活環境の中で過酷な強制労働に従事させられた方々です。

第三中隊人名簿 [だいさんちゅうたいじんめいぼ] 松本英太郎氏提供


昭和20(1945)年8月末、満州(現・中国東北部)で、作業大隊長が作成した名簿です。約1,000人を4個の中隊に編成しました。この名簿は、そのうちの第三中隊のものになります。

手製の食器類 [てせいのしょっきるい] 海江田英次氏提供


シベリアに抑留中、白樺[しらかば]の木を削って作った食器です。故郷での食事を思いながら作りました。

ロシア製の斧とのこぎり [ろしあせいのおのとのこぎり]


抑留者は、こうした斧やのこぎりなどを使って伐採作業に従事しました。

抑留中の作業風景 [よくりゅうちゅうのさぎょうふうけい] 山田正夫氏提供


昭和23(1948)年7月頃に、抑留中の作業風景を写したものです。ソ連(現・ロシア)軍将校が撮影しました。

手製カミソリ [てせいかみそり] 吉野一郎氏提供


労働していた工場で入手したアルミと鉄で作ったカミソリです。監視の目を盗んで手に入れた物資などを使って、生きていくための道具を作りました。

手製の防寒靴下 [てせいのぼうかんくつした] 山本キヨコ氏提供


シベリアの収容所に抑留されていた男性が使っていた靴下です。持ち主の名字の縫い取りがあります。

袖無しの防寒外套 [そでなしのぼうかんがいとう] 村田金悦氏提供


シベリアの冬は零下[れいか]30~40度になります。この外套の持ち主は、飢えに耐えかね、現地の労働者が持っていたパンと外套の袖を交換しました。

俘虜用郵便葉書 [ふりょようゆうびんはがき] 佐藤寿子氏提供


俘虜用郵便とは、抑留者と外部をつないだ郵便制度で、赤十字社などを通じて葉書をやり取りすることが出来ました。ソ連(現・ロシア)側の検閲があったため、最初の頃は全てカタカナで書くように指示されました。

手製の歌謡曲集 [てせいのかようきょくしゅう] 松本都氏提供


満州(現・中国東北部)の野戦病院で勤務していた看護婦が、収容所内の診療所で働いている際、日本人衛生兵からもらった歌謡曲集です。

手製麻雀牌 [てせいまーじゃんぱい] 北川正平氏提供


抑留中、木片を削って作った麻雀牌です。草や赤チンなどで着色して作りました。

ソ連製手帳 [それんせいてちょう] 長﨑智次氏提供


収容所で、ソ連(現・ロシア)兵からもらった手帳です。厳しい抑留生活の中で現地の少女や日本の女性などの姿を描きました。

ソ連製鉛筆 [それんせいえんぴつ] 林宣夫氏提供


昭和24(1949)年春に、収容所で事務助手を務めていたときに使用した鉛筆です。

死亡状況を伝える手紙 [しぼうじょうきょうをつたえるてがみ] 金子フミ氏提供


シベリアの収容所での厳しい生活環境の中で、衰弱死した男性の最期の様子を伝える手紙です。同じく抑留された男性がこの手紙を書き、死亡した男性の妻のもとへ送りました。この手紙が根拠となって、3年後に県から死亡告知書が届きました。
死亡状況を伝える手紙、死亡状況を伝える手紙(封筒)、死亡状況を伝える葉書、死亡通知書、写真。手紙: 昭和22(1947)年6月17日 / 死亡通知書: 昭和25(1950)年10月26日

防寒作業衣 [ぼうかんさぎょうい] 長﨑智次氏提供


帰国が決まると、着用していた作業服を状態が良いものと交換してくれました。この防寒作業衣は、カザフスタンのバルハシ収容所で昭和23(1948)年に支給されたものです。

平和祈念展示資料館 (総務省委託)