語り部の方の戦争体験について、学芸員が進行役となってわかりやすく伝えます。

永野平蔵(ながのへいぞう)さん   元兵士


「ジャングルの中を生き延びて」

  • 4月29日(金・祝)  14:00~

■■プロフィール■■
大正11(1922)年7月、千葉県生まれ。
昭和19(1944)年3月、佐倉の東部第64部隊に入隊。
7月、フィリピンのマニラで橋や浄水場等の警備に従事し、11月、ネグロス島に渡る。
昭和20(1945)年3月まで、フィリピンのゲリラ部隊と戦う。
4月、ネグロス島に米軍が上陸し、交戦が続き、山中を逃避する。
終戦後、米軍により武装解除され、レイテ島の捕虜収容所へ。
昭和21(1946)年12月、レイテ島から愛知県の名古屋港に復員。

猪熊得郎(いのくまとくろう)さん   抑留体験者


「戦争に奪われた青春」

  • 5月1日(日)  14:00~

■■プロフィール■■
昭和3(1928)年9月、東京都生まれ。
昭和19(1944)年4月、水戸の陸軍航空通信学校長岡教育隊に入隊。
昭和20(1945)年4月、基地通信隊員として関東軍の第2航空軍に配属、満州(現・中国東北部)に渡る。
終戦後、ソ連軍により武装解除され、シベリアのシワキで抑留生活を送る。
抑留中、森林伐採作業、道路工事作業等に従事。
昭和22(1947)年12月、ナホトカから京都府の舞鶴港に復員。

田中信子(たなかのぶこ)さん   引揚体験者


「7歳の少女が見た満州からの引揚げ」

  • 5月3日(火・祝)  14:00~

■■プロフィール■■
昭和14(1939)年3月、満州(現・中国東北部)・黒龍江省生まれ。
新潟県から満州に渡った開拓団で最初の子どもとして生まれる。
昭和20(1945)年8月、開拓村で終戦を知る。
10月、匪賊に襲われ母を失い、自身も肩を負傷する。
その後、祖父ら家族5人でハルビンまで徒歩で逃避行。
ハルビンから列車で満州を南下。
昭和21(1946)年、葫蘆島から京都府の舞鶴港に引揚げ。

丸澤一也(まるさわいちや)さん   引揚体験者


「満州のちびっ子開拓義勇隊」

  • 5月4日(水・祝)  14:00~

■■プロフィール■■
昭和5 (1930)年2月、東京都生まれ。
昭和19 (1944)年3月、満蒙開拓青少年義勇軍内原訓練所(茨城県)に入る。
昭和20 (1945)年3月、内原訓練所を出発し、満州(現・中国東北部)の勃利訓練所に入る。
5月、遼陽に移る。383部隊の後方要員として農作業や警備などを行う。
8月中旬、大人から終戦を知らされる。9月中旬、義勇隊としての団体生活が危険になり、分散して日本人家庭に同居させてもらう。遼陽の義勇隊は自然解散となる。食料を確保するため、満州人農家の手伝いや、闇市での商売をしながら、避難生活を続ける。
昭和21(1946)年7月、葫蘆島から福岡県の博多港に引揚げ。

福岡澄子(ふくおかすみこ)さん   引揚体験者


「ヨーロッパからアジアへの引揚げ」

  • 5月5日(木・祝)  14:00~

■■プロフィール■■
昭和11(1936)年4月、満州(現・中国東北部)・大連生まれ。
昭和14(1939)年5月、貿易商社に勤める父の転勤先パリに移る。
昭和19(1944)年8月、連合国軍の攻勢に伴い、パリからベルリンへと逃避。
昭和20(1945)年5月、ソ連軍の護衛により、ベルリンからモスクワへ。さらに、シベリア鉄道で満州へ向かう。
奉天(現・瀋陽)で避難生活を送り、そこで終戦を知る。
昭和21(1946)年7月、葫蘆島から山口県の仙崎港に引揚げ。

遠藤尚次(えんどうしょうじ)さん   抑留体験者


「シベリアで亡くなった戦友への想い」

  • 5月8日(日)  14:00~

■■プロフィール■■
大正15(1926)年2月、神奈川県生まれ。
昭和19(1944)年1月、東部第62部隊に入隊後、中国・済南の独立歩兵第111大隊に配属。
昭和20(1945)年7月、朝鮮・咸興に移動。
終戦後、ソ連軍による武装解除の後、船でウラジオストックに運ばれ、極東地方のイマン(現・ダリネレチェンスク)で抑留生活を送る。
抑留中、森林伐採作業、農作業等に従事。
昭和23(1948)年5月、ナホトカから京都府の舞鶴港に復員。

平和祈念展示資料館 (総務省委託)