戦争での苦しくつらい出来事を体験者が語ります。
戦後強制抑留者と海外からの引揚者の労苦を聞くお話し会です。(約60分)

遠藤尚次(えんどうしょうじ)さん  抑留体験者


「シベリアで亡くなった戦友への想い」

  • 9月18日(日)  14:00~

■■プロフィール■■
大正15(1926)年2月、神奈川県生まれ。
昭和19(1944)年1月、東部第62部隊に入隊後、中国・済南の独立歩兵第111大隊に配属。
昭和20(1945)年7月、朝鮮・咸興に移動。
終戦後、ソ連軍による武装解除の後、船でウラジオストックに運ばれ、極東地方のイマン(現・ダリネレチェンスク)で抑留生活を送る。
抑留中、森林伐採作業、農作業等に従事。
昭和23(1948)年5月、ナホトカから京都府の舞鶴港に復員。

成田富男(なりたとみお)さん   抑留体験者


「14歳の満蒙開拓青少年義勇軍」

  • 9月25日(日)  14:00~
    ※自作の紙芝居を使って語ります。

■■プロフィール■■
昭和4(1929)年12月、兵庫県生まれ。
昭和20(1945)年5月、満州開拓青年義勇隊の隊員として満州(現・中国東北部)の孫呉訓練所に入る。
終戦後、シベリアのセレトカンで8ヶ月の抑留生活を送る。
抑留中、森林伐採作業に従事。
昭和21(1946)年4月、オルレンブルグの収容所に移され、建築作業等に従事。
昭和23(1948)年11月、ナホトカから京都府の舞鶴港に帰国。

丸澤一也(まるさわいちや)さん  引揚体験者


「満州のちびっ子開拓義勇隊」

  • 10月2日(日)  14:00~

■■プロフィール■■
昭和5 (1930)年2月、東京都生まれ。
昭和19 (1944)年3月、満蒙開拓青少年義勇軍内原訓練所(茨城県)に入る。
昭和20 (1945)年3月、内原訓練所を出発し、満州(現・中国東北部)の勃利訓練所に入る。
5月、遼陽に移る。383部隊の後方要員として農作業や警備などを行う。
8月中旬、大人から終戦を知らされる。9月中旬、義勇隊としての団体生活が危険になり、分散して日本人家庭に同居させてもらう。遼陽の義勇隊は自然解散となる。食料を確保するため、満州人農家の手伝いや、闇市での商売をしながら、避難生活を続ける。
昭和21(1946)年7月、葫蘆島から福岡県の博多港に引揚げ。

平和祈念展示資料館 (総務省委託)