平和祈念展示資料館科(総務省委託)
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企画展「南洋からの引揚げ展」

企画展「南洋からの引揚げ展」

この企画展では、第一次世界大戦後に日本の委任統治下に置かれ、多くの日本国民が移り住んでいた南洋群島からの引揚げについて取り上げました。特に南洋で最も人口が多かったサイパン島で、昭和19(1944)年6~7月の激しい地上戦と、その後のアメリカ軍が管理する収容所生活の中で、人々がどのように生き延びたのか、自身も移民としてサイパン島で育ち、引揚げ後も南洋との交流に尽力した込宮まつか氏が収集した写真を基に紹介しました。

会期:令和元年7月2日(火)~9月29日(日)
企画展レポートはこちら

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込宮まつか氏が昭和15(1940)年4月から19年6月のサイパン戦まで4年余り勤務した、ガラパンのサイパン郵便局の戦後の姿。撮影日不明。

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サイパン戦からしばらくして、ススッペ収容所のカマボコ兵舎内に設置された医務室。高価な医療機器が導入され、住民たちは高い水準の治療を受けられた。患者の中には、悲惨な地上戦で重傷を負い、長期の療養生活を送っている者も多かった。

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ススッペ収容所の日本人墓地の中にある寺院で撮影された祭壇。「南冥諸々之霊」「戦没殉難者之霊」といった位牌が並んでおり、観世音菩薩の掛け軸も汚れて破れている。

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ススッペ収容所内で撮影。俗にカマボコ兵舎と呼ばれる簡易な軍用の建物が奥に見える。手前の看板には、「HEADQUARTERS CAMP SUSUPE MILITARY GOVERNMENT」(ススッペ収容所軍政府司令部)と書かれていることから、ここが収容所の行政の中心であったことが分かる。

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企画展19_05

ススッペ収容所で、アメリカ人大尉が日本人警察官たちを点検する様子。収容所内の治安維持が日本人自身の手に委ねられたことで、住民たちの精神的ストレスも多少は軽減された。

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ススッペ収容所内の農場から居住区へ帰る住民たち。農場は立入り禁止区域内にあったため、移動の際は軍警察官によって監視されていた。看板には、「WARNING RESTRICTED AREA PEDESTRIANS KEEP OUT VIOLATORS WILL BE CONFINED by Order of ISLAND COMMANDER」(警告 制限区域 歩行者立入禁止 侵入者は拘束される 島司令官の指令による)とある。

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ススッペ収容所内の青空教室か。収容所の中では教育も行われ、子どもたちも次第に元の生活を取り戻していった。ただし授業内容には制限があり、軍国主義的なものやアメリカに批判的なものは不適当とされた。

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企画展19_08

木陰で休む少女たち。ススッペ収容所内か。一見すると穏やかな風景であるが、よく見ると背後にはアメリカ軍の車両が一面に並んでいる。住民たちが置かれた状況が、端的に表れている一枚といえる。

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企画展19_09

昭和20(1945)年の元日を祝って、ススッペ収容所内で行われた運動会で、競技の賞品のアメを渡す場面。一方、同時期の島内は日本本土を空襲する戦略爆撃機B29の基地と化していた。

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企画展19_10

ススッペ収容所内で、日本人警察官が見守る中、1か月分の労働の賃金を受け取るために並ぶ住民たち。窓口の日本人職員が、労働の記録を調べている。

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